パティスリー・イナムラ・ショウゾウのいちごのロールケーキ

 家族が買ってきたので,おやつに食べた。前から評判は聞いていたけれど,本当においしかった。これだけおいしいクリームはここしばらく食べた事がなかったように思う。本当においしく思えるモノって,もたれたりしないものだなと再確認。もたれたり,「も,ご馳走様」と思うようなモノは体がおいしく感じてないってことなんだと。

 お見事なツッコミです(笑)

 こんな辺境日記サイトにコメントを下さるid:Gomadintimeさんから,古典を読み始めたきっかけにドンピシャのツッコミコメントいただきました。聖書のことに触れてなかったです。キリスト教徒が大半を占める西欧社会にあって,聖書なくして常識は語れない。なのになぜ完全に欠落していたのか… 実は物心ついた頃からキリスト教に日常的に触れるところで育ってるんですね,わたくし。キリスト教徒ではないですが。ミサの進行順とか,一通りのお祈りとか,聖歌とか未だに覚えてます*1
 だから,典型的な日本の人(非キリスト教徒)の言動とか見ていて,自然と「ああ,向こうの人には理解できない(しない)だろうな,これ」なんて言う感想を持つことが結構あったりもします。実際のところ,そういう感想の蓄積が「きっかけ」を誘発したのかもしれない。自分にとって当たり前の思考パターンになってしまっていたので,すっかり抜け落ちてしまっていました。やっぱりこうやってみると,自分の考えている事を過不足なく文章にするのって難しい…
 指摘されてみて改めて思うけど,聖書ってのは本当に厄介な代物です。なにせ,今現在ある聖書の解釈ってのは,2000年かけて何万人もの頭の切れる人達が,よってたかってこねくり回して作り上げたとんでもない怪物ですから。サグラダ・ファミリアの比じゃありません。私が想像するに,キリストは,例えば相田みつをのように,悩める者が耳にした時にふっと気持ちが楽になったり,真実をついていると納得で来たりするようなメッセージを発していたのではないか。それを万事に当てはめようとするから何が何だかわからなくなるんでしょうな… たまにまた読んでみようかという気になりますが,実際開いてみると眠れなくなるか,世界一安全な睡眠薬になるかのどっちかです(笑)

*1:そうやって見聞きしてきたおかげで,逆に「どの宗教の信者にもならない」と自分できめたというオチがついてますが(笑)